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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)711号 判決 1967年1月27日

主文

被告らは各自原告らそれぞれに対し、金二、四四〇、〇〇〇円および内金二、二四〇、〇〇〇円に対する昭和四一年四月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らその余の請求を棄却する。

訴訟費用は一〇分し、その四を原告らの、その余を被告らの各連帯負担とする。

この判決は、仮りに執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告らに対し、各金三、九二〇、〇〇〇円および内金三、四四〇、〇〇〇円に対する昭和四一年四月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、昭和四〇年八月一九日午前二時一五分ごろ、東京都港区芝高輪南町六五番地先道路において、被告渡辺米吉運転のタクシー(足五い一、三九四)(以下被告車という)と、訴外亀井由久運転のオートバイ(一神い七、六七〇)(以下訴外オートバイという)とが接触し、そのため訴外オートバイの後部座席に同乗していた亡東城和則が右下肢挫創骨折などの傷害を受け、同日午前九時一五分死亡した。

二、右事故現場は、南北に走る京浜国道国電品川駅前交差点で、訴外オートバイは国道を北から走つて来て自己の対面信号が青であることを確認して交差点内に進入し、そのまま直進していたところ、右交差点内で被告車に右横腹に突つ込まれた。右事故は、被告渡辺が直進するオートバイの通過を待つべきであるのに拘らず、これを怠つたため発生したものである。

三、被告渡辺は被告会社の従業員で被告会社の業務執行中であつたから、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条にもとづき、被告渡辺は民法第七〇九条にもとづき、それぞれ損害を賠償すべき義務がある。

四、本件事故によつて生じた損害は次のとおりである。

(一)  亡和則の得べかりし利益喪失による損害

亡和則は、昭和二三年二月二三日生れ、当時一七才の男子で、事故当時東京都世田谷区にある国士館高等学校普通科三年に在学し、生来健康で、体のどこにも悪いところがなかつた。したがつて同人は、もし本件事故によつて死亡しなければひきつづいて学業を続け、昭和四一年三月には高等学校を卒業し、昭和四一年四月一日から五四才の昭和七七年三月三一日まで神奈川県下にある事業所に雇われて働き、月収と賞与収入を得る筈であつた。その初任給は月額金一四、六〇〇円で、その後一年を経過した昭和四二年四月一日を第一回目とし、以後毎年一回四月一日に昇給し、その額は年令が一九才から三五才までが一、三〇〇円、三六才から五〇才までが一、二〇〇円、五一才以後は九〇〇円であり、賞与は初めの年は一二月だけ、あとは毎年の七月と一二月に当時の月収の一ケ月分である。

そして亡和則のその間の生活費は、高校を卒業する昭和四一年三月までは毎月一五、〇〇〇円、稼働後の昭和四一年四月から昭和四九年三月(二六才)までは収入の八割、昭和四九年四月から昭和五四年三月(三一才)までは収入の七割、昭和五四年四月から昭和七七年三月までは、賞与のある月はそれに月収を加え、賞与のない月は月収だけで、その額が三〇、〇〇〇円台以下の月は一八、〇〇〇円、三〇、〇〇〇円台を越える月は一〇、〇〇〇円増すごとに二、〇〇〇円宛増えることとなる。

そして右収入から右生活費の控除は、毎年四月一日から翌年の三月三一日までを一年度とし、収入残額については当該年度の末日に入手されるものとし、一方生活費残額は前年度の末日に支出されるものとして、各年度の残額ごとに、民法所定の年五分の割合による中間利息をホフマン式によつて控除し、昭和四一年三月三一日現在の一時払額を算出し、次いで右収入残額の一時払額から生活費残額の一時払額を控除すると、その残額は別紙第一計算表のとおり、金四、三〇〇、〇〇〇円(一〇、〇〇〇円以下切捨)となる。

(二)  亡和則の慰藉料

亡和則は一七才でその生命を失つたもので、その精神的苦痛は大きく、その慰藉料は金一、三〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三)  原告らは、亡和則の父母で、右(一)、(二)の損害賠償請求権を二分の一宛相続により取得したので、一人当りは金二、八〇〇、〇〇〇円となるところ、原告らは、被告会社から弁済として金六〇、〇〇〇円、自動車損害賠償責任保険から金一、〇〇〇、〇〇〇円をそれぞれ二分の一宛受領し、これを亡和則の逸失利益の喪失による損害に充当したので、原告らの右相続による残請求権は一人当り金二、二七〇、〇〇〇円となる。

(四)  原告らの慰藉料

原告梅吉は大正元年八月三一日、原告よねは大正三年九月六日に生れ、昭和一二年八月婚姻した夫婦で、亡和則のほか昭和一七年三月に長女八重子、昭和二一年一月に次女玲子、昭和三九年八月に三女良子を出生した。原告梅吉は、戦後昭和三一年までは雇われて土木工事に従事していたが、昭和三二年からは数名の従業員を使用して土木請負業を行なつている。原告よねは結婚以来家庭の主婦として家事に従事している。事故当時原告らは四人の子に原告梅吉の父母を加えた八人で暮らしていたが、原告梅吉は五四才、原告よねは五〇才で、亡和則はただ一人の男の子であつただけに原告らは亡和則に対し格別の生甲斐と期待をかけていた。その和則を失つた原告らの精神的苦痛は大きく、その慰藉料は、それぞれ金一、一〇〇、〇〇〇円を下らない。

(五)  葬式費用

原告らは、亡和則の葬式費用として昭和四〇年八月三一日までに金一四〇、〇〇〇円を二分の一宛支出した。

(六)  弁護士料

原告らは、昭和四〇年一二月一九日被告らから任意の履行が得られないため、東京弁護士会々員弁護士坂根徳博に対し、以上各金三、四四〇、〇〇〇円の損害賠償請求権につき被告らを相手方として訴を起すことを委任し、報酬は同弁護士会報酬規定の報酬額標準中最低の額とすることと、手数料は謝金と同じように依頼の目的を達したときに支払うことを約した。しかして規定の報酬額標準は、手数料、謝金とも訴訟の目的の価額が一、〇〇〇、〇〇〇円以下の場合は一割二分ないし三割、五、〇〇〇、〇〇〇円以下の場合は八分ないし二割、一〇、〇〇〇、〇〇〇円以下の場合は七分ないし一割五分となつている。そして本件の場合は原告らの委任額の合算額について最低の料率を求め、その料率をもつて原告ら各自の委任額について算出するのが相当である。このため原告らは委任の日に同弁護士に対し、各手数料、謝金とも七分に当る金二四〇、〇〇〇円合計金四八〇、〇〇〇円宛本件の第一審判決言渡日に支払わなければならない債務を負担するに至つた。

五、よつて、原告らは被告らに対し、各自右合計金三、九二〇、〇〇〇円および弁護士費用を除いた金三、四四〇、〇〇〇円に対する逸失利益一時払額基準日の翌日に当る昭和四一年四月一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告ら主張の抗弁事実に対する答弁として、

被告会社および被告渡辺が無過失であつたこと、亡和則および訴外亀井由久に過失があつたことはいずれも否認する。

と述べ

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答弁として

一、第一項中原告主張の事故が発生し、そのため東城和則が死亡したことは認める。

二、第二項の事実は否認する。

三、第三項中被告渡辺が被告会社の従業員で、被告会社の業務執行中であつたことは認めるが、その余は否認する。

四、第四項中(一)、(五)、(六)の事実は不知、(二)の事実は否認する。(三)の事実中原告らがその主張のように金一、〇六〇、〇〇〇円を受領し、亡和則の逸失利益に充当したことは認める。(四)の事実中慰藉料額は否認し、その余は不知

被告渡辺の主張および被告会社の抗弁として

一、本件事故は全く訴外亀井由久の一方的過失により発生したもので、被告渡辺に過失はない。すなわち

(一)  訴外亀井由久外五名のいずれも一七才の高校生は、三台のオートバイに二名宛同乗し、午前二時過ぎという深夜に拘らず、品川駅前を五反田方向に向け時速七〇粁ないし八〇粁の高速で進行中であつた。

(二)  被告渡辺は、五反田方面から品川駅前に来り、品川駅構内に入るため青信号で右折せんとし、別紙図面(1)点(以下単に(1)点と表示する)に停車して三台の乗用車の通過するのを待つたが、その際オートバイ二台とタクシー一台の進行して来るのを九〇米前方に認めた。

(三)  被告渡辺はその前を突き切れると判断し、右折進行を開始したが、二台のオートバイとの距離は被告車が(2)の地点に達したとき三・四〇米であつた。

(四)  被告車が(3)地点に達する直前の速度は五ないし七粁で、その際甲、乙の二人乗りオートバイは被告車の後方を進行通過して行つた。そのとき被告渡辺は左方約一六、七米の(A)の地点に徐行しているタクシーを認めたが、その瞬間、右タクシーの陰にかくれてみえなかつた訴外オートバイが、同タクシーを追抜こうとして高速でその左に出たため、被告渡辺はオートバイのヘッドライトを直接に受けたので反射的に停止した。

(五)  被告車が停止した線は(4)点で、車体は完全に歩道に乗り入れていた。

訴外オートバイは時速七、八〇粁で車体の前部をこする如く追突し、その際ハンドル等で被告車の左ヘッドライトを損し、被告車のナンバープレートの支鉄をオートバイのミッションカバーでぶつけて破損させ、訴外亀井ならびに亡和則両名は被告車の前部に身体を激突して(5)の点にとばされ、被告車は右接触のため約一米バックした。

(六)  訴外オートバイは改造ハンドルで背が低く、競走用オートバイのように改造されたもので、右ハンドルは危険であるため昭和四〇年一〇月一日以降禁止されたものである。

(七)  被告渡辺は昭和二年から現在に至るまで三九年間(現在五九才)無事故で過した最優秀運転手で、警視庁から表彰を受けた事が数知れず、事故当時は警視庁から「優」マークを受け、タクシー前方に表示していた程である。なお同被告は優秀なため個人タクシーの営業許可も受けていたものである。

(八)  以上本件事故で特に注意すべき点は次のとおりである。

(1)  オートバイが歩道に四米四〇乗り入れて来た事実

(2)  被告車がヘッドライトで照らされたため危険を感じ停止した事実

(3)  被告車が前部をオートバイをこすられたため約一米後退した事実

(4)  オートバイの速度超過ならびに前方不注意

(5)  オートバイのハンドル改造

(6)  安全地帯内無理追越

(7)  オートバイがノーブレーキで激突した事実

(九)  被告渡辺は五九才の最優秀運転手であること

(十)  深夜の午前二時過ぎというのに一七才の高校生が二人宛三台のオートバイに分乗し、高速で進行していた事実

以上のとおり被告渡辺は注意を怠らず、なんら過失はなく、かえつて訴外亀井に過失があつたものであるから、原告の請求は理由がない。

二、仮に右主張が理由がないとしても、前記のように訴外亀井および亡和則に過失があるので、損害額の算定につき過失相殺を求める。

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一、原告ら主張の日時場所で、被告渡辺米吉運転の被告車と訴外亀井由久運転の訴外オートバイとが接触し、同事故に因つて右オートバイの後部席に同乗していた東城和則が死亡したことは、当事者間に争いがない。

二、〔証拠略〕を総合すると、被告渡辺は前記日時ごろ被告車を運転し、八ツ山橋方面から三田方面に向けて進行して来て、国電品川駅前に至つたところ、たまたま対面信号が青であつたので同所で右折して同駅構内に入るべく、まず道路中央の都電軌道上で一旦停止したところ、三田方面から訴外桜井および同細野運転のオートバイ二台が走行して来たのでこれらを通過させ、続いて約五、六〇米三田方面寄りの地点附近に、訴外中島一雄運転のタクシーとその左斜め後を並進してくる訴外亀井運転のオートバイの各ライトを認めたが、それらが走行してくる前に安全に右折できると考え、発進して右折を開始したが、その右折開始後、右オートバイが時速約七〇粁ないし七五粁という高速度であつたこともあつて予期以上に早く近距離まで接近して来ているのに気づきそのまま進行を続けるならば接触の危険があると判断し、直ちに急ブレーキーをかけ、車体の前部が歩道部分に約一米位入つた位置附近(一時停止地点から約一〇・七米)に停止したが、既に及ばず停止直前その車体前部に、近距離に接近して初めて被告車に気がつき慌ててハンドルを左に切つた訴外オートバイが接触するに至つたものであることが認められる。

〔証拠略〕中右認定に反する部分は前示その余の証拠と対比して措信することができず他に右認定を左右する証拠もない。

右認定事実によれば、本件事故は毎時七〇粁ないし七五粁の高速度でしかも前方注視を尽さずに運転進行した訴外亀井由久の過失もさることながら、被告渡辺米吉としても直進して来る訴外オートバイを認めていたのであるから、同オートバイを通過させてから右折すべきであり、その方法をとらず、安全に右折できるものと軽信して漫然右折した点において、過失があつたものといわざるをえない。もつとも右認定のような距離関係からすれば通常は安全に右折でき、本件事故は訴外オートバイが高速度であつたため発生したもので、被告渡辺に過失はないと解する見解も全く考えられないことはないが、〔証拠略〕によれば、同人運転のタクシーはもとより、訴外佐喜真、同桜井運転の各オートバイも、訴外オートバイとほぼ同程度の速度で走行していたことが認められるから、被告渡辺としても当時の時間、交通量を考えるならば訴外オートバイが制限速度以上の速度で走行しているかも知れないことは充分予想することができた筈で、それだけにライトの動き等に気をつけ、より慎重に運転すべきであつたといわざるをえず、訴外オートバイが高速度であつた故をもつて被告渡辺の過失の存在を否定することはできない。

そうだとするならば、被告渡辺は直接の不法行為者として民法第七〇九条により、また被告渡辺が被告会社の従業員で被告会社の業務執行中であつたことは被告会社の認めるところであり、かつ〔証拠略〕によると、被告車は被告会社の所有であることが認められるから、被告会社は被告車の運行供用者として他の免責要件について判断するまでもなく(もつとも主張自体不備であるが)、自動車損害賠償保障法第三条により、それぞれ本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

三、損害

(一)  亡和則の得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕によると、亡和則は、昭和二三年二月二三日生れ、事故当時一七才の健康な男子で、私立国士館高校三年在学中であり、高校卒業後は他え勤める予定であつたことが認められるから、もし本件事故に遭わなければ、昭和四一年四月から他に就職し、爾後原告らの主張する五四才余の昭和七七年三月まで稼働し、その間収入を得られたものと推認することができる。原告らは、その間の収入につき成立に争いのない申第五号証(労務行政研究所発行、昭和四〇年度モデル賃金、初任給・昇給・平均賃金)に準拠して昭和三九年度の神奈川県下中小企業における高校卒男子の年令別モデル賃金に概ね一致する額を主張するが、右甲号証によると、右モデル賃金は、その調査の方法として現行の賃金規則、昇給制度に基づいて賃金が標準的に上昇した場合を想定して算出した想定モデル賃金と、学歴、年令、性、勤続年数、扶養家族数などのモデル条件に合致するものを企業内の実在者から選び出し、その賃金を基準とした実在者モデル賃金との二つの方法を併用したもので、現実との遊離をできるだけ少くしようとしていることは認められるが、それでもなおかつ、右のような調査方法をとつている以上現実の賃金と一致することは言えず、しかも稼働終期までは長年月のことで、その間事業所側に好、不景気、被用者側に病気・事故による欠勤・転職等種々の事情が発生する可能性も考えられるから、原告ら主張の収入額によつて逸失利益を算定することは、蓋然性の高いものということはできず、むしろ現実の賃金額を基礎として算定する方法こそが、最も蓋然性の高いものと考えられる。そこで現実賃金額についてみるに、総理府統計局編「日本統計年鑑」昭和四〇年度版によれば、昭和三九年の企業規模一〇人以上の事業所における男子労動者が毎月きまつて支給される全産業平均給与額は、一八才から一九才までが金一七、四〇〇円、二〇才から二四才までが金二三、一〇〇円、二五才から二九才までが金三〇、〇〇〇円、三〇才から三四才までが金三五、七〇〇円、三五才から三九才までが金三九、五〇〇円、四〇才から四九才までが金四四、〇〇〇円、五〇才から五九才までが金四一、九〇〇円であることが認められ、最近の就職状況、賃金の上昇傾向等を考慮するならば、亡和則も前記稼働可能期間に、その年令の推移に応じ毎月少くとも右と同程度の収入を得られるものと認めるのが相当である。

ところで、右収入をあげるに要する生活費は、就労当初は独身で収入に比してその生活費の占める割合は大きく、その後収入が増加するとともに結婚、子供の出生などによつて家族数が増えるため、世帯主としての生活費の絶対額は多くなるものの、収入に対する割合は減少する傾向にあることは経験則上明らかであり、前記稼働開始時期、その終期および稼働可能年数、収入額の推移等を併せ考慮し、得べかりし利益の喪失による損害について蓋然性の高い数値を求めるためには、収入から控除すべき生活費は、全稼働可能期間を通じて収入の五割とみるのが相当と考えられる。

そこで、前記収入から右の割合による生活費を控除し、前記各年令における年純益額を求めるとその額は別紙第二計算表記載のとおりとなる。そしてこれが昭和四一年三月三一日現在の一時払額を求めるため、ホフマン式計算方法により年毎に民法所定の年五分の割合による中間利息を控除し、これらを合算すると、同計算表記載のとおり、金四、〇四二、〇〇〇円(一、〇〇〇円以下は原告ら主張の計算方法に則つて切捨)となるところ、原告らは亡和則の死亡時から稼働開始時までに要する生活費金一二六、〇〇〇円を自ら控除するので、これをさらに控除すると、その残額は金三、九一〇、〇〇〇円(一〇、〇〇〇円以下は原告らの自認に従つて切捨)となる。

(二)  過失相殺に対する判断

被告らは、訴外オートバイ側に速度超過前方不注視、安全地帯内の無理追越、無制動等の過失があつた旨主張するが、それらはいずれも訴外亀井の過失であつて、亡和則の過失ということはできないから、主張自体失当というべきで、それらの事由は過失相殺として亡和則の損害算定につき斟酌することはできない。もつとも〔証拠略〕によると、訴外オートバイのハンドルは改造されたもので、危険性のあるものであることが認められ、かかるオートバイに同乗したことが過失であるという考え方もできないではないと思われるが、前記認定の事故の状況からすると、右ハンドルと事故との間に直接の因果関係があるとは認められないから、かかるオートバイに同乗したこと自体をもつていまだ過失として斟酌することはできない。従つて被告ら主張の過失相殺の抗弁は理由がない。

(三)  亡和則の慰藉料

前記認定にかかる本件事故の原因、態様、和則の年令、その他諸般の事情特に和則が深夜猛スピードで街中を走行する友人運転のオートバイの同乗者であつたことを考慮するならば、亡和則の受けるべき慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円が相当と認められる。

(四)  相続

〔証拠略〕によると、原告梅吉、同よねは亡和則の父母で、和則の相続人は原告両名のみであることが認められるから、同人らは右(一)、(二)の債権を各自二分の一づつ相続したものというべきである。

しかして、原告らが被告会社から弁済として金六〇、〇〇〇円、自動車損害賠償責任保険から金一、〇〇〇、〇〇〇円を受領し、これが二分の一づつを亡和則の逸失利益喪失による損害の右相続分に充当したことは、当事者間に争いがないから原告らの相続により取得した債権の残額は、各金一、六七〇、〇〇〇円となる。

(五)  原告らの慰藉料

〔証拠略〕によると、事故当時原告梅吉は五四才、原告よねは五〇才で、原告らの間には亡和則の他姉二人、妹二人がいたが、男の子供は亡和則のみであり、その和則も高校卒業が近く、原告らとしては和則の今後に多くの希望と楽しみをもつていたことが認められ、それだけに本件事故によつて精神的苦痛を受けたことは容易に推認され、その他事故の原因、態様等諸般の事情を斟酌するならば、原告らに対する慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円が相当と認められる。

(六)  葬儀費用

〔証拠略〕によると、原告らは亡和則の葬儀費用として、昭和四〇年八月二五日までに合計金一四一、九〇八円を支出し、同額の損害を受けたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

(七)  弁護士費用

〔証拠略〕によると、原告らは本件事故につき、事故後被告会社に対し損害賠償の請求をしたところ、「自分の方に過失はない、賠償については今月一杯に回答する」と答えたのみでその後回答しないため、昭和四〇年一二月一九日弁護士坂根徳博に対し、本件訴訟の提起を委任し、その際東京弁護士会報酬規定による報酬額の標準中最低の料金(手数料、謝金とも目的の価額または受ける利益の額五、〇〇〇、〇〇〇円以下のときは八分)を依頼の目的を達したときに支払う旨約したことが認められる。ところで交通事故による被告者側が加害者側に対し損害賠償の任意履行を期待できないときは、通常弁護士に訴訟委任をしてその権利実現を図るほかないのであるから、右に要する費用中右約定による割合とともに事案の難易などを考慮し相当と認められる額は、事故と相当因果関係になつ損害と解すべきであり、これを本件についてみれば、その額は原告らの負担した報酬債務のうち各金二〇〇、〇〇〇円(手数料、謝金を合わせ)が相当と認められる。

四、以上の次第であるから、原告らがそれぞれ被告ら各自に対し求める本訴請求中前項(四)、(五)、(六)、(七)((六)については金一四〇、〇〇〇円のみ請求)の合計金二、四四〇、〇〇〇円およびうち(四)、(五)、(六)の合計金二、二四〇、〇〇〇円に対する亡和則の逸失利益喪失による損害の算定基準日である昭和四一年四月一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書第八九条を、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

第一計算表

東城和則・収入損・計算表

(昭和二三年二月二三日生・男)

<省略>

第二計算表

年令

期間

月間収入

年間収入

年間純収入

現価

18〜19

41.4.1〜43.3.31

17,400

208,800

104,400

194,330

20〜24

43.4.1〜48.3.31

23,100

277,200

138,600

556,187

25〜29

48.4.1〜53.3.31

30,000

360,000

180,000

601,344

30〜34

53.4.1〜58.3.31

35,700

428,400

214,200

612,997

35〜39

58.4.1〜63.3.31

39,500

474,000

237,000

593,234

40〜49

63.4.1〜73.3.31

44,000

528,000

264,000

1,115,664

50〜53

73.4.1〜77.3.31

41,900

502,800

251,400

369,180

合計

4,042,936

<省略>

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